明日、築地市場場内がその長い歴史の幕をおろします。
長い長い、ながい時間、
日本の食と、食文化を支えてくれたあの場所。
最後の市場を、体感しに今日もまたいつも通りに行ってきます。
いくつかの奇跡の時間が重なりあった市場。
あんな市場はもう二度と作れない。

本当に二度と作れないのだ。

次の場所の見学会にも行かせてもらった。
その場所だっていろいろと人の想いはあるけれど
唯一無二の場所になるはずだ。
箱、の状態から食がどう彩りをみせるかで
これからの豊洲市場の発展はある。
彩りというのは我々の生活の彩りだ。
私たちの意識にかかっている。
築地市場は
昭和を生きてきた方々が作ってきた場所。
であれば、
これからの豊洲市場は
わたしたちの生活がつくっていくもの。
だから見て行かなくちゃいけないと
心底、思います。

うちは古来種野菜を扱う八百屋だけども、
野菜全体の底上げがなされなければ、
古来種野菜が身近になるなんていうのはありえない。
そこに敢行も有機も関係ない。
これだけを食べていれば
これだけを見ていれば
という部分部分の成長がぐるぐる繰り返される中で
食文化の全体が動き出す。

だからスタートの段階で
いろんな人の想いが絡み合っているけれどもそれもみる、
その絡みさえそれが豊洲市場の歴史のはじまりだからだ。
部分部分で動いている人たちこそ
もっと市場の動きに目を向けるといいと思う。
食の全体がそこで動いている。
みると部分部分はどう動くべきか自ずと感じることができる。
‪二度と作れないあの築地市場の場内。‬
‪卸、という仕事の役割が持つ意味合い。‬
‪八百屋、という仕事の役割が持つ意味合い。‬
‪仕事がきちんとプロの間で‬
‪交換されてきた時代の市場。‬
‪それはいつもドラマティックだったように思う。‬
‪わたしたちはその市場に頭を下げに行ってきます!‬
‪育ててくれてありがとう、と!‬